A little blossom  -桜-

春は出会いと別れの季節だと人は言うけど、こんな風に笑いながら過ぎていく季節ってほかにあると思う?
まだ社会というもの自体分からない、けれどこれからそれを覚えていく、傷一つない新品のランドセルを背負った子供達。
いつかそれが傷だらけになったら思い出してね。
今日の、この日を………………
遠くの方で笑い声が聞こえる。
ああ、そっか………今日、入学式なんだ。
静かだった校舎に、また騒がしさが戻ってくる。
おめでとう。今日からぴっかぴかの一年生だね。
学校の校門近くに咲く、一本の桜の樹。もう八部咲きを越して、散り始めている。
もう少し早くに入学式があったら、もっと綺麗な姿で出迎えられたのにね……ちょっと残念。
でも、この時だけ、みんな、私が≪桜≫であることを知ってくれる。
石垣の上にいる私を見上げ、みんなが私を見てくれる。

「あ、さくらだぁ」
「あら! 綺麗ねぇ」

ほら、ね。
五月になって、これが全部葉になったら、みんなはもう、私を見てくれなくなる。
まぁ、仕方ないけど。

「ねぇねぇ、おこられちゃうよぉ」

ん?
校舎からのびるフェンスのかげ。そこに二人の子供がいた。
まだ芽生えて間もない草花を踏んで、私のところに近づいてくる。
さっきの声は……ああ、あなたね?
長い髪をサイドに二つに分けて、かわいいピンクのリボンを着けてる女の子。その横の男の子は…なんか、いかにも、いたずらせずにはいられない子………世に言う≪ガキンチョ≫って奴。

「だいじょぶだって。そんなにやなら、かあさんたちのとこにいればよかったんだ」
「でもぉ……」

あ、泣きそう……こら、ガキンチョ。男の子は女の子を泣かすもんじゃないでしょ。
しかしまぁ、なんだってこんなとこに子供が?
カシャンと軽い音を立てて、男の子がフェンスをよじ登っていく。

「あぶないよぉ!」
「へいきだってばっ」

重いランドセルを背負ったまま、男の子がこちらに懸命に手を伸ばしてくる。
震える手が伸びる先は……まだやっとほころび始めたばかりの桜の枝。
細くて成長の遅い、子供の手で簡単に折れてしまう枝。

「あと、もうちょい…………」

…………こらこらガキンチョ。そんな真剣な顔しなくたって、あんたの手に届く花はいくらでもあるでしょうに。
後ろ向いてごらんなさい。
女の子、泣きそうな顔してるわよ。
小さな手が枝を掴む。
反動で、周りにあった花が小さく揺れて、散っていく。
あーあ、下手くそ。もうちょっとそっと掴めないの?
ま、まだ身長が低いからしょーがないんだろうけど。

「っと………」

そうそ、そっとね。
パキリと小さな音を立てて、ほんのちょっと花の残った桜の枝が私から離れていく。

「取れた! …………っと、うわぁあっ!」

……………………バカ者が。
鬼の首取ったりの笑顔を浮かべて、フェンスから手を離した途端、ランドセルの重さに引っ張られ、そのまま後ろにすっ転ぶガキンチョ。

「だいじょうぶ?!」

あわててガキンチョを起こそうとする女の子。
ありゃりゃ、やっぱり涙目になってる……。
おーい、ガキンチョ。ランドセルがクッションになったからいいものの、頭打ってたらどうするつもりよ、全く……≪桜折るバカ≫とはよく言ったもんだわ。
あーあ、肘すりむいちゃってる……。

「あいってぇー、ちぃでてる」

あ、泣かないんだ。って、隣の女の子が泣き出しそう……ほんと、泣き虫なのね、君は。

「ゆーくん、けが……」
「いいって。それより、これ」

と。やや俯きがちにガキンチョが女の子に桜の枝を押し付ける。
ぶははははははははははははっ!
って、やっぱ、そのためかぁー。
いやいや、笑っちゃいけないんだけど、ナイスガキンチョっ!
あんたけっこういいやつじゃん! 女の子のツボついてるわ!

「でも、これ…」

ほらほら、君もさっさと受け取ってあげなさいって。 まったくもー、気づいてないの?
ガキンチョ、まっかっかじゃなーい♪

「おまえがきれいっていったんだぞ」

あーもー、不器用な奴っ!! そんな喧嘩腰で言ってどうすんのよ!
ほらぁ、また泣きそうな顔しちゃったじゃない。

「いるのか? いらないのか?」
「………………いる」

ぽそっと小さな声でつぶやいて、白い柔らかな手で枝をつつみこむように受け取る。
よしよし。
そっと、私の二人の間に、優しい風が流れてくる。
伝わる、子供の独特なにおい。
ああ、そういえば何年ぶりになるだろう……私の枝を手折ろうとした子供に出会ったのは。
今はもう、遠くで私を綺麗と誉めるだけ。
仕方のないことだ。ここは人が入って来にくい。
こんな小さな子供でないかぎり、ここに続く校舎とフェンスに挟まれた細い道を通って来るのは困難だから………。

「んじゃ、かあさんたちのとこにかえるぞ」
「あ、まってよぉ」

足早に去っていくガキンチョ。ふふっ、照れてやんの♪
真新しい、黒と赤のランドセルがゆさゆさ揺れている。まるでランドセルが走ってるみたい。
小さな背中が、日陰から、日の当たる場所へと出て…………。
あ。
二人のまっさらなランドセルの背についてる、何かで引っ掛けたかのような傷跡。
多分、校舎の壁に背を向けて、ここの細道を入ってきたのだろう。
まだあの子達、あの傷に気づいてないみたいね……お母さん達に怒られるぞ、きっと。

『どこに行っていたの』
『その肘の傷はどうしたの』
『その桜は何』
『そのランドセルの傷はどうしたの』

女の子は涙目になって俯いて、ガキンチョはむくれて立ってる………ってとこかなぁ。
入学早々の冒険と大目玉。それでも、あの子達は懲りずに冒険を続けていくだろう。
やっぱり、女の子は泣きべそのままで、ガキンチョは無茶なことばっかりして、ね。
…………なかなか、今年は面白い子が入ってきたわね。
ざわざわと、遠くの方で葉擦れの音が聞こえてくる。
少し強めの風が、私の樹を揺らして去っていく……その風に引っ張られるように、表裏とひるがえりながら散っていく花達。
………あの子の枝は大丈夫かしら………
芽生え始めた若葉が光を受けて、まだはっきりとはしない、幼げな緑色の光を返している。
もうすぐ、花が終わる。私を見上げてくれる季節も終わる。
そして……緑が始まる。
あの子達ならきっと、しばらくは忘れずにいてくれそうね……私がここにいること。
………ふふ、何、ガラにもなく寂しがってるのかしら。
ねぇ、覚えておいて。 あなた達がつけたその傷を。
いっぱい冒険して、いっぱい怒られて、いっぱい傷をつけても。
一番初めにつけたその傷は、大切な子の為につけた傷だってこと。
………覚えておいて、ね。
私に出会い、別れた時のことを。
その真剣でまっすぐな瞳で、私の枝を手折ったこと。
いつか、そのランドセルが傷だらけになっても、思い出してね。
今日の、この日を。